逆算思考と積み上げ思考

毎月執筆しているスカイマーク機内誌の旅エッセイ「ユウキが行く。」。7月号のテーマは「スマホアプリ」でした。

僕は、「逆算思考と冒険の旅」というタイトルでインドの列車に関するアプリについて書きました。

スマホアプリについての話はエッセイに譲るとして、ここでは、逆算思考に対する僕の感想について、少し敷衍したいと思います。

期限に追われた検事時代

考えてみれば、検事の仕事をしていた当時は、逆算思考があまりにも当たり前すぎて、それ以外のやり方をしたことがありませんでした。

なぜなら一般的な検事の仕事は、厳格な期限に埋め尽くされていたからです。
犯罪捜査の段階では、逮捕から勾留まで48時間。勾留期間は10日間。延長したとしても20日間。これらの期限を破ることは絶対に許されません。
また、犯罪ごとに何年と決められた時効がありますし、少年事件なら少年のうちに処理しなければいけないし、すでに起訴されている被疑者の追起訴事件なら、次の公判期日前にある程度余裕を持って処理しなければいけません。
処理すると言っても、記録を精査するだけでなく、被疑者、被害者、参考人などから事情を聞いたり、現場を見たりと、いろんな作業が必要になります。その多くでは、相手がいることなので、相手の都合によってなかなか話が聞けないことも少なくありません。
公判段階では、おおむね月1回のペースで公判期日が入るので、それに合わせて準備を済ませなければなりません。その準備というのは、ときに膨大になる記録を精査し、さまざまな書類を作成するのはもちろん、証人尋問をするのであれば、その下準備(証人との打ち合わせなど)に相当の時間が必要ですし、敵性証人や争いのある事件の被告人に対する尋問が予定されていれば、尋問でギャフンと言わせるためのネタを仕込んだり、尋問の仕方を考えたりといった時間も必要です。
しかも、通常、そういう事件を何十件も(ひどい時は100件以上)同時に抱えていて、日々新たな事件が配点されてくるわけです。
もう、期限にがんじがらめにされている感じでした。
したがって、スケジュール管理を適切に行い、迅速に事務処理をするハイレベルな能力が求められていました。

ということは、積み上げ式なんてとても考えられないわけで、常に、いつまでに何をしなければいけないから、どういう優先順位で、どれにどのくらい時間をかけて、どういう手順で間に合わせていくか、ということばかり考える日々でした。こうして思い出しただけでも変な汗をかいてくるくらい、常に気の休まることのない時代でした。

プロセスを楽しむ

これに対して、検事の仕事をやめてからは、期限なるものから解放され、ただ、今やりたいことをやるだけの日々に激変しました。
その解放感はものすごくて、何があるわけでもないのに、絶えず嬉しくて仕方がなくて、心からニコニコ笑っていました。
何かを目指しているわけではなく、単純に、今、好奇心が湧くこと、心地いいこと、嬉しいことをやっているだけなので、どの瞬間も喜びに満ちていました(今もそうですが)。

わかりやすく単純化していうならば、成果、結果を求められる世界とは違い、ただそこに在ることだけで完璧で、プロセスそれ自体に意味があるという世界なので、何かを達成するために努力したり我慢したりする必要がありません。
先の道筋を見定めているわけでもないので、この先どんなことがあるかわからないというドキドキ感とワクワク感でいっぱいです。
これに対して、結果を求められる世界では「失敗したらどうしよう」という変なドキドキ感というかプレッシャーが大きくて、ワクワク感はありません。ただ、戦いに挑むときの武者震いするような高揚感はありました。というか、実際に武者震いすることが何度かあり、「これが、あの武者震いってやつか」と妙に感心しました。そして、結果を出したときには、責任を果たしたという安堵感と達成感はありました。しかし、逆算思考の世界では、それに酔っている暇はありませんでしたから。喜びも一瞬です。

冒険の面白さ

どちらが正しいかという話ではありません。
逆算思考で成果を上げ続けるのも充実しているでしょう。
でも、それは、成果を上げ続けなければいけない終わりのない世界。途中で降りることのできない、走り続ける特急電車の旅です。
それを一度経験したからこそ、真逆の積み上げ思考(というか思考すらない)の世界の豊かさ、面白さを実感できているのだと思います。
それはまさに先の見えない「冒険の旅」の面白さそのものなのです。