元プロ野球選手の高森勇旗さんと二人で、毎月執筆している旅エッセイ「ユウキがいく。」
8月号のテーマは「食」でした。
僕は、「足るを知る」というタイトルで、パタゴニアをトレッキングしたときのことを書きました。
要約すると、3泊4日のテント泊にしては貧弱な糧食しか持っていかなかったけれども、食に関してなんら問題はなく、不満もなかったのみならず、むしろ体調がとても良くなったのです。
ここでは、その要因として思い浮かんだことについて、少し補足します。
ギリギリ暮らしは人間本来の生命力を呼び覚ます
いろんなところで書いてきましたが、生命の危機、あるいはそこまでいかなくてもギリギリなんとか生きている状態(物質的または気持ち的に)は、人間本来の生命力を呼び覚ますようです。
そのわかりやすい例が、食でした。
粗食や断食が健康法になるのもうなづけます。
ギリギリの食生活をしていると、体が、「これは頑張らないといけない!」と本気になる感じがします。
逆に、過剰な摂取を続けることは、かえって生命力や活力を弱める感じがします。
過剰な欲望は他人との比較や洗脳のせい
なぜ過剰な摂取をしてしまうのか。
一つには、飢餓に備えて、少しでも栄養を備蓄しておこうという本能的な働きがあるかもしれません。
また、美味しいものを腹一杯食べること自体が、人間の幸福感を生み出します。
しかしそれだけでなく、現代社会においては、コマーシャリズムによる洗脳の影響も大きい気がします。
特に、他人がいいものを食べているのを見せられると、自分も欲しくなるのが人の性。
トレッキングの間、コマーシャリズムのシャワーを浴びることはなく、他人の豪勢な食事を見て自分と比べることもなかったことは、この間、食に不満を抱かなかった大きな理由だと思います。
足るを知るはたくさん得るより心強い
わずか3泊4日だけとはいえ、貧弱な糧食でハードなトレッキングを終えることができたことは、大きな自信になりました。
こんな程度の食事でも、問題なく生きていけるのだと体感したことで、将来に対する不安が、また一つ軽くなりました。
この体感は、「バックパックひとつ分の持ち物があれば、世界中どこででも生きていける」という想いと共に、生きていく自信、というより、自分や運命に対する信頼を育んでくれたように思います。
逆に、たくさん溜め込む心理には、将来に対する不安感、自分や運命に対する不信感が潜んでいます。
だから、どこまで行っても限度がなく、たくさん持てばかえって失う恐怖にも苛まれたりします。
その意味で、「足るを知ることは、たくさん得ることより心強い」と感じた旅でした。