毎月執筆しているスカイマークの機内誌「空の足跡」の旅エッセイ「ユウキが行く。」
4月号のテーマは「出会い」でした。

僕は、「至福と違和感の奥へ」などという仰々しいタイトルで旅での出会いについて書きました。
このうち「違和感の奥」にあるものについて、少し補足します。

違和感

誰かと一緒にいて違和感を感じるときがあります。
「え〜、なんでそんなことするんだろう(そんなことすべきじゃないのに)」とか
「なんか、気分良くないな」とか。

そんなときは、できるだけ、「どうして自分はそうに感じているのだろう」と探ってみるようにしていました。

するとそこには、自分が無自覚にまとっている「心の癖」が見えてくることがありました。

心の癖

「癖」は無意識の反応。
自分が当たり前だと思っていること、「こうでなければならない」と思い込んでいることを反映します。

僕の場合、例えば、「人の気分を害するような言動をしてはいけない」というのがありました。
それ自体は、間違いとは言えませんが、
それが、「絶対にしてはいけない」という極端なまでの思い込みになっていると話は違います。

ときには人の気分を害してでも主張してしかるべきケースがあるはず。
けれど、極端な思い込みにとらわれていると、人の気分を害さないことが最優先になり、主張すべきことを主張できなくなってしまいます。

それによって、自分を蔑ろにしてしまい、後で後悔することがよくありました。

さらに、「どうしてそういう癖を持っているのだろう」と原因を深掘りします。

怖れ

さらに深掘りすると、その根底には、「怖れ」がありました。
今から振り返ってみるとよくわかるのですが
幼少期から、僕は、「自分はこの世の中に合っていない」「世界は恐ろしいところである」と思い込んでいました。

だから、「生きていくためには自分がこの世の中に合わせなければならない」と思い、必死で「ありのままの自分」を殺し、常に緊張していたのです。

どうしてそんな怖れを抱くようになったのか、正確にはわかりませんが
おそらくバーストラウマ、あるいは親子関係が影響していたのだと思います。

在り方を変える

その在り方の不自然さに気づき
「このまま人生を終えたら本来の自分が可哀想すぎる」と痛切に感じ
周りに自分を合わせるのではなく
本来の自分で生きようと決意するところから、在り方の変容が起きました。

少しずつでも、周りに合わせない、ありのままの自分で生きてみると
意外にも、困ったことは何も起きないし
むしろ、素晴らしい出会いの連鎖が起きて
人生が友情や愛情に満ち溢れるようになっていきました。

そして、軸足をそちらに移した状態で自分の心の動きを観察することで
根深く残るかつての在り方、その根底にある思い込みに気づき
気づくたびにその思い込みが薄れていきました。

この世界は素晴らしい

そうやって、ありのまま生きることで
いつしかかつての思い込みは大転換して
「ありのままの自分でいるのが一番いい」
「この世界は素晴らしい。自分にとっても、誰にとっても」
と確信して生きられるようになったのです。

出会いの喜び

そうなると、人と出会うことは楽しみで仕方なくなり
実際、出会うたびに新たな喜びを感じるようになりました。

人と出会うたび、嫌われないよう気を張って
自分を殺して生きていたかつての自分に
将来こんな幸せな時が来るのだと教え、励ましてあげたい気持ちになります。

ヨルダンのペトラ遺跡